夜と人の闇を見つめて | 吹き溜まりの雀たち

夜と人の闇を見つめて

二十一時二十一分。
オレはいつものように電車に乗った。街の中心部に向かう電車だ。

電車の中はガラガラ。ポツポツと、水商売風の女性が何人か座っている。
その一人が、ちらりとこちらを見た。
どちらからともなく、お互い目をそらす。
特に何があるわけでもない、窓の外を眺める。
少しずつ、人工的な光が増していく。
いつもと変わらない、よどんだ風景がスクロールしていく。

自宅最寄の駅から四駅、歓楽街にほど近い千葉中央駅で降りる。
改札を出ると、いきなり怒声が聞こえてきた。
見ると、サラリーマン風の男二人がののしり合っている。
普段は上司や得意先にぺこぺこ、酒が入ってそのうっぷんがお互い一気に噴き出した…と、これはオレの想像だ。

駅を出ると、いきなりスーツを着た客引きの男に声をかけられた。
「おにいさん、いいおっぱいあるよー」…苦笑しそうになるのをこらえて、足早に通り過ぎる。
と、今度は東南アジア系の女性が声をかけてきた。
「オニイサン、イイコトシナイ?」
これから、こっちも仕事なんだってば。

もう、バイトを始めて一年半ほどになった。
駅から店までの数分、ここの様子は変わらない。
あるいは、毎日変わっているともいえるかもしれない。
そんなこの道を歩くのも、今日が最後かと思うと、なんだかちょっと寂しい気がする。

いろんなことがあった、いろんな人がいた。
たった一年半で、本当に多くの人に出会い、交流を深めることができたのは、はっきりいって驚きだった。

夜の歓楽街は、人間の二面性、もしくは多面性を強く感じる場所だ。
酔っぱらったサラリーマンが、まるでヤクザのようにふるまう。
明らかに怖いお兄さんが、満面の笑みで店に誘う。
学校じゃ、案外いい子なんじゃないかなぁ…という印象の女子高生が、制服でナンパ待ちをしていたり、間違いなく不倫だろう…という、片方しか指輪をしていない、中年男性と若い女性のカップルが、手をつないでいたり。

不純、非道徳的、汚い…当たり前だろ?人間なんだから。
黒夢ってバンドの曲の歌詞にあったよな、『おとなしい顔してるほど裏で醜い顔だすから』。

「よう、サワちゃん」うつむいて考え事をしていたところに、いきなり声をかけられ、オレはハッと顔を上げた。
気がつくと、もう店のあるビルの下まで来ていた。

「ボーっとしてんなぁ。まだ眠いの?サワちゃん、今日が最後って聞いたからさ、ひさびさに来てみたよ」
「ありがとうございます。まだ起きて一時間も経ってないもんで…」
声をかけてきたのは、常連客の高田さんだった。
ひさびさ、といってもせいぜい一ヶ月ぶりくらいだろう。
その程度の期間を「ひさびさ」といってもらえるのは、うれしいことだ。

二人で一緒に、エレベーターに乗る。
「今日が最後っつっても、負ける気はさらさらないからね」
「オレだって負けませんよ(笑)」
高田さんと話すのも、今日が最後になるかもしれない。
店に来なくなるどころか、行方不明になる人だっている。
いつか自分が客として訪れたとき、高田さんがいる保障はない。
エレベーターが、店のある六階で止まった。

さぁ、最後の出勤だ。
気を引き締めて、オレは「雀荘 藤沢」のドアを開けた。