天国の卓上で | 吹き溜まりの雀たち

天国の卓上で

死ぬまで好きな事をやり続けて、

ニコニコ笑顔のまま死んでいく。

 

…最高の人生だと、思わない?

 

 

 

 

 

夏の日差しが微かにやわらいで、

草木の緑が薄くなっていく季節の、

ある日のこと。

 

一人の老人が店のドアを開けた。

 

「あれ、北村さん!お久しぶりです」

 

「うん、今日は天気がいいねぇ」

 

その老人、北村さんは、一ヶ月前と変わらない、

ニッコリとした微笑みを浮かべて待ち席に腰を下ろした。

 

 

 

北村さんには、

メンバー達の間だけで使われるアダ名があった。

 

通称、「キタじい」。

 

そして、キタじいが店にしばらく来なくなるごとに、

オレ達の間ではあるウワサがいつも飛び交った。

 

『キタじい死んだ説』。

 

そう、この一ヶ月間も。

 

 

 

 

 

キタじいは、昔からの常連だったらしい。

オレが「藤沢」に入店する相当前から通い詰めているとのことだ。

 

とにかく麻雀が好きで、

いつも財布の金が無くなるまで打っていた。

それでも、

年金を使い込んでいるのか貯金をくずしてくるのか、

一週間もするとひょっこり現れてまた財布を空にして帰っていく。

 

「いやぁ、今日はやられちゃったねぇ」

 

帰るときはいつもニコニコ笑顔とこのセリフ。

「『今日も』だろ!」

「頼むから店の中でポックリ逝かないでくれよ…」

と、こんな思いは胸の中に押し止め、

 

「また来てくださいね!」

 

オレも満面の笑みでお見送り。我ながら、商売上手。

 

そしてキタじいはフラフラしながらヨボヨボの足を一歩ずつエレベーターの中に押し込め、最後にまたニッコリ笑って帰っていく…。

 

 

 

その帰り際が、何というか…

今生の別れ、三途の川の向こう岸に渡る前…

そんな雰囲気を毎回かもし出しているもんだから、

「あれ、前に来たときからもう一週間くらい経つよね…」なんて話が出ると、

「死んだんじゃねぇか?」という結論に至ってしまうのである…。

 

 

 

何だか切なくなる話だが、本当のところ、

キタじいが店に来なくなると喜ぶ客が大半だった。

 

理由は、キタじいが卓に入ると麻雀にならないから。

 

 

 

「藤沢」は低レート(賭ける金額が低いということ)の店なので、金を稼ぎに来るという客はほとんどいない。

もちろん負けるよりは勝つほうがいいにきまっているのだが、何よりも麻雀の内容を楽しみに来る客が大半なのだ。

 

 

 

それなのにキタじいときたら、

手がブルブル震えているので牌をまともに掴めない、

店のルールもよくわかってない、

何より打つのがやたら遅い。

 

そして最も怖いのが、

対局中に目をつぶって止まってしまう事…。

 

もちろん全員ビビる。隣の卓の客もビビる。

むしろオレの心臓が止まりかける。

 

「か、帰って来い!」

 

店中の想いが一致する瞬間だ。

…まさに、麻雀どころではない。

 

 

 

だが、自分でも不思議だったが、

オレはキタじいと麻雀をするのがイヤではなかった。

 

もちろん、麻雀をしている、という気にはなれなかったけど。

 

何故か、麻雀が終わったあとのあの笑顔をみると、自然に頬が緩んだ。

 

 

 

きっと、キタじいは長い人生の中で、

たくさん勝ったり負けたりを繰り返してきたんだろう。

いや、むしろ負けのほうが多かったのかもしれない。

 

たぶん、そんな中で行き着いたあの笑顔。

 

キタじいの、人生の軌跡。

 

…オレもいつか、あんな笑顔ができる日が来るのだろうか。

 

 

 

 

 

一ヶ月ぶりに来たその日のキタじいは、

おかしな音の咳をしていた。

 

いつものように負け、いつものように笑顔で帰って行く。

 

 

 

…そしてそれから、二度と店に来ることはなかった。

 

 

 

今度は本当に逝っちまったのか。

キタじいが別の店で打つなんてことはまずない。

大体、半分モウロクしたジジィなんて打たせてもらえないハズだ。

 

ということはやっぱり…。

 

 

 

いずれにせよ、オレが生きているうちに会う事は二度とない、というのは間違いなさそうだった。

 

 

 

オレは頭の中で、

布団に横たわって死を迎えるキタじいを想像した。

 

その顔には、あの笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

いつの日かまた、一緒に卓を囲もう。

今度は、あっちの世界で。

 

…ね、キタじい。