泡沫 | 吹き溜まりの雀たち

泡沫

シャボン玉が、フワフワ飛んでいく。
屋根を越え、電線を越えて。


もう少し、まだ飛べる。


…小さく、風にあおられた。
シャボン玉が、弾け飛ぶ。


一瞬、虹色に輝く霧。


後には、何も残らない。






窓の外は、
相変わらずネオンの光がギラギラしていた。


男も女も街そのものも、毒蝶のような厚化粧。
人を誘い、金を誘う。


そんな中、うちの雀荘は1ゲームでウン千円の取りっこ。
あぁ、なんて健全なお店なんだろう。ハッハ。


ガタン。


エレベーターが店のある6階で止まる音。
客が来た合図だ。


「いらっしゃいませー」


オレはさっきまでの自虐的な顔を消し、
仕事用の笑顔を投げかけた。


今日もまた迷い込んできた、二匹の毒蝶に向かって。



「桜田さん、いつもご来店ありがとうございます。
 お二人様ご一緒の卓がよろしいですか?」


「ああ」


「それですと…あちらの卓が、
 ちょうど次に2カケ(二人抜けるということ)ですので、
 もう少々お待ち下さい」


そうオレが言うと、
桜田さんと連れの女性は無言で待ち席に腰掛けた。



桜田さんは、不動産会社の社長さん。
無愛想で、あまり多くを語らない人だった。


いつも連れ歩いている女性は東南アジア系の人で、
一目で水商売とわかるナリだ。
桜田さんと親しい角田さんという客の話では、
この女性は桜田さんの愛人というか…
まぁ、そんな関係だそうだ。


この二人がウチの店に来るようになったのは、
いつの頃からだろうか…?


いつも同卓で隣同士に座りたい、というこの二人に、
はじめはオレたちメンバーもレツを疑った。


レツとはいわゆる「コンビ打ち」で、
要するにあらかじめ二人で示し合わせておくことで
勝ちやすくしよう、というものだ。


だが、そんな疑問はすぐになくなった。


二人ともそんなレベルではなかったし、
何より女性のほうは麻雀も日本語も覚えたて、
といった様子だったから。


そうしてこの二人は、
特に咎められる事もなく、
いつも二人同じ卓の隣同士で打っていた。




そんなある日のこと。
ある客が、桜田さんをチャカした事があった。


「桜田さん、
 囲ってる女いつも侍らせて、
 いいご身分だねぇ」


ヘラヘラと笑いながら揶揄するその客を、
桜田さんは睨み付けた。


「黙ってろよ。
 これが、オレなんだよ」


…一瞬、その場が凍りついた。
桜田さんをチャカした客は、口をモゴモゴさせている。


その時の桜田さんの目に宿っていたものは…


自分が馬鹿にされた事への怒り?
それとも、目の前のアホな客への嫌悪感?


いや…


あれは、何というか…狂気。
それを、必死で奥に押さえつけている―
そんな感じだった。





それから、数ヶ月後。
いつもの、濁った夜の事。


ガタン。


エレベーターが止まる音。


来た客は、桜田さんと親しい角田さんだった。


「いらっしゃいませ。
 えぇと…次、抜ける方がいますんで、
 もう少々お待ちください」


角田さんは待ち席に腰掛けると、
重そうに口を開いた。


「サワちゃん、あのさ…桜田さんなんだけど」


「あぁ、そういえば最近お見えにならないですねぇ」


…一瞬の間の後、角田さんははっきりこう言った。


「消えたよ」


生きているのか、死んでいるのかもわからない。
ただ、はっきりしているのは「消えた」という事だけ…。


角田さんの話では、
桜田さんの不動産会社が倒産したのだという。


逃げたのか、それとも…。


「景気悪くなって、
 銀行から融資受けられなくなって、
 そんでまぁ…ね、
 ヤバイとことか、色々…
 金、借りてたみたいだから」


「あの、いつも連れてる女性と逃げたんじゃ…」


「はは…それはないよ。
 あのホステスはさ、
 ただ金で繋がってただけだから。
 彼にしてみれば、女を連れて歩くことが…
 自己顕示っていうか、それが意地、
 プライドだったんだろうね」


彼女は既に、別の金ズルを見つけているそうだ。
今度のパトロンは、特に麻雀好きではないらしい。



オレは無言で角田さんの前にコーヒーを置いた。


角田さんは、苦い顔でコーヒーを啜っていた。





そう。


自分を保つことは、そんなに簡単じゃない。


金だけのくだらない関係、
そんなものにしがみ付かなきゃ、
自分自身を保てなかった桜田さん。


全てが切れて無くなって、
本当にいなくなった桜田さん。




バブルが弾けた後の壊れかけた日本じゃ、
こんな話、珍しくも何とも無い。


大企業も銀行も、バタバタ潰れた時代。



…こんな話が、
そこら中にゴロゴロ転がってるんだよ。