熱ッチイ!!(2) | 吹き溜まりの雀たち

熱ッチイ!!(2)

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三十歳を過ぎてからこのような厳しい世界に入ったという事だけで、
今までの金井さんの人生が他人に羨ましがられるものから
かけ離れていたことは容易に想像できる。

ある日、金井さんが三十八度以上の熱を出して
ふらふらになりながら仕事をしていたことがあった。
「金井さん、明日、とりあえず病院行ってきなよ」
とオレは言ったのだが、金井さんの返答は、
「だって保険証ねぇし」
とだけ。
…なんで無いの、という質問をするのはためらわれた。
なんとなく、その理由を想像することで納得し、
オレは自分の中で「お大事にね」と付け加えることにした。
「保険証貸して」というお願いは丁重にお断りしたが。

「藤沢」は、朝番が十時から二十二時まで、
夜番が二十二時から十時まで、
という二組のシフトである(あ、深夜に営業してるのは当然違法ね)。
この十二時間労働は当然の事ながらつらい。
しかも人数はいつもギリギリなので、
簡単には休んだりできないのである。

体力の峠を超えた三十過ぎの、おっさんに片足をつっこんだ体には、
相当負担がかかることは疑いようもない。
それでも金井さんは、文句を垂れ流しながら、
毎日誰よりもテキパキと働いていた。

そして負けるといつも、店中に響く声で「熱ッチィ!」と叫んでいた。


そんな金井さんが、
自分の身の上について少しだけ話してくれたことがあった。
それは、二人でビラ撒きに行ったときの事。
といっても、
オレたちが働いていたのは夜番なので道行く人に手渡すのではなく、
皆が寝静まった人気の無い団地の郵便受けなどに、
手当たり次第放り込んでいくのである。

仕事も話すスピードも飯を食うのもとにかく速い金井さんのペースに、
私はひたすら振り回されていた。
急いでいた理由は他にもあって、
深夜の暗闇にうごめくあからさまに怪しい二人組が警察に見つかると、
面倒なことになるのは目に見えていたからである。
オレたちは一時間も経たずに全てのビラを配り終わっていた。

それじゃぁ、ということで
車の中でしばらく仮眠を取ってダラダラすることになった。
まぁ、サボリと休憩の間みたいなものだ。
大体、店が暇だからビラ撒きに来たわけで、
さっさと仕事を終わらせて店に戻ったところで、
することもなかったのである。

「澤山ぁ、おまえさ、なんでうちの店で働こうと思ったわけ?」
後ろに大きく倒れた運転席のシート、
それに体をあずけていた金井さんが唐突に聞いてきた。
全く、この人の質問はいつも唐突である。
「え…あぁ、まぁ…彼女と別れて、
そんでまぁ…なんつーか、普通に飲食店でバイトして、
テキトーな金もらう…ってのもかったるくなっちゃって。
ちょうど、授業も少なくなってきてたしね。
彼女いねぇし、
ギャンブル漬けの生活してたって別に問題ないじゃん?
って感じです」

「はは…まぁ、おまえはまだ学生だしな…」
そういって、金井さんは珍しく語尾を濁らせた。

「金井さんは?」
オレはなんとなく会話の流れで、
それまで聞きたくても聞けなかった事を自然に口にしていた。
「なにが?」
「いや、うちの店に入った理由っす」
「あぁ、んー…まぁ、オレもいろんな仕事やったけどな。
トラックの運ちゃんとか、キャバクラのボーイとかね。
うーん…田舎からこっちに出てきて、まぁ、色々あったわけよ。
この業界ならめんどくさい事情とか聞かずに雇ってくれるしね。
それにまぁ…そりゃ当然、麻雀が好きだったワケだけど」

質問に答えているようで、はぐらかしたような言い方だった。
しかしオレはそれ以上突っ込むことはせずに、
別の、かねてから疑問に思っていた質問をすることにした。

(熱ッチイ!!(3)へ続く)