もう、戻れない | 吹き溜まりの雀たち

もう、戻れない

♪お手手 つないで 野道を行けば
 みんな 可愛い 小鳥になって…




「おぉい、コーヒー!」
今日もまた、店中にガラの悪い怒鳴り声が響き渡った。


声の主は黒田さん。
三十歳をちょっと過ぎた、ホストの兄ちゃんだ。
金のネックレスにヴィトンの財布、アバハウスのスーツ。


「コーヒーお待たせしました!」
「おう。…ったくよォ、シケた席に案内しやがって。
全然あがれねぇじゃねぇか」
周りの客から一斉に「席のせいかよっ!」と心の声で
ツッコミが入る。
オレとしては、

黒田さんが半分冗談で言ってるのがわかっているので、
「はは…まぁ、黒田さんなら大丈夫ですよ」
と愛想笑いを浮かべてその場を離れる。これでOK。


…ま、半分本気なのがこの人のアブナイところなんだけど。



黒田さんは、誰に対しても常にこんな口調だった。
年上、社長、おかまいなし。
無礼、生意気、デカい態度。


他の常連客から嫌われていたのは言うまでも無い。


当然、ウワサも悪いものばかりだった。
…といっても、普通ウワサというのは誇張されるものだが、
黒田さんに関する事の場合、
事実の方がけっこうイッちゃってるもんだから、
誇張のされようが無かったのだが。


ウチの店で人気者の、

女の子のメンバーが酔わされてヤラれた。
ヤーさんの女に手を出して大モメし、

車が一台オシャカになった。
黒田さんに貢ぎ続けた女が「消え」た。
結婚歴と離婚歴は共に三回。


…大抵の事は女絡みだった。



そんな黒田さんと打っていた、ある日のこと。
ふいに、黒田さんが話しかけてきた。
「お前ってさぁ、なーんか田舎くせぇ顔してるよなぁ」
…。
一瞬ムッとしかけたが、
確かにオレは、

「ド」がつくほどの田舎者なのだからしょうがない。
「ハハ…確かに、実家は北海道の小さな港町ですからね」
曖昧な表情でオレはそう言った。
すると、黒田さんの表情がふと緩んだのである。
「そうか…。まぁ…、オレも田舎モンなんだけどな」
「あ、そうなんですか?」
「あぁ…、すげぇ田舎でよ。

周りは田んぼと林しかなかったな。
毎日、あぜ道歩いて学校行ってたよ…」


驚いた事に、
黒田さんのいつもギスギスしていた表情から毒気が抜け、
常にギラギラしている目は穏やかに瞬いていた。


…またすぐに、いつもの表情に戻ってしまったのだけど。


絵に描いたような「嫌なヤツ」が一瞬見せた、意外な表情。
何種類もの顔を使い分けるやり手のホストが見せた、
おそらく女の前では絶対見せない表情…。




―そんなことがあってから、数ヶ月の後。


いつの頃からか、黒田さんは店に来なくなっていた。
だが、誰もそんな事を気にする者はいなかったし、
オレ自身黒田さんの事はすっかり忘れていた。


そんな折、ある常連さんとの会話の最中に、
黒田さんの名が出た事があった。


「サワちゃん、黒田ってやつ覚えてる?」
「あぁ、あのホストの…」
「そうそう。あいつ今さ、
高レート(賭け金)の店で打ってんだよ。
でも、相変わらずナマイキでさぁ…」
黒田さんが高レート?
あの人は正直なところ、麻雀は強くない。
なのに高レート店に通い続けられるってコトは…。


聞くところによると、
黒田さんは四度目の入籍をしたということだった。
今度のお相手は、17歳のソープ嬢だとか。


…オレは驚きよりも、妙な納得感を覚えていた。
驚いていたら、キリが無かったからかもしれない。
―やっぱり、新しい金ヅルを見つけたってワケか…。


オレの目が、自然と窓の外に吸い込まれる。


街の紅い光と混ざり合った、
くすんだ夜の闇がそこにあった。




女を喰い、人を喰らって生きていく。
いつの日か、自分が喰われるその日まで。


蒼い光と緑の空気、土の匂いに包まれたあぜ道には、もう…
戻れない。