蜃気楼に浮かぶ顔 | 吹き溜まりの雀たち

蜃気楼に浮かぶ顔

ゆらゆら揺れる夜の街の蜃気楼。


あっちこっちでコインが投げられる。
表が出るか、裏が出るか。


どっちの顔がお好みですか?

…きっと、どっちにしても大して変わらない。
どうせ、蜃気楼の中の出来事だから。





「澤山君、大学はどうなの?」


そう話しかけてきたのは、
高校で数学の先生をやっている柿田さんだった。


「えぇと…ま、まぁ、ボチボチです…」


深夜の雀荘でバイトしている人間が、
学業をおろそかにしていない訳がない。


「ハハ…マイペースでいいから、
 勉強もちゃんとしなよ」


微笑みながら言う柿田さんに、
オレはハイ、と小さく答えるしかなかった。



柿田さんは、とても優しい人だった。
いつも笑顔を絶やさず、誰にでも柔らかく接するので、
他の客にも好かれていた。


きっと、学校でもそうなんだろう…生徒達にも、
信頼される良い先生なんだろうな…
柿田さんの笑顔を見ると、オレはいつもそう感じたのだった。




ある日、柿田さんと一緒に、
佐藤さんという女性客が帰った事があった。
佐藤さんはまだ十代のソープ嬢。


「色々大変なんだよ…」


それが口癖だった。


どうやら彼女は柿田さんに相談に乗ってもらっているらしく、
その日以来何度も一緒に帰っていた。



もしかしたらあの二人、うっかりデキちゃったりして…
雀荘で知り合った年の差カップル。
高校教師とソープ嬢。
なんだかちょっと、ドラマチック(笑)。


オレはそんな風に考えていたのだが…
事はそう単純にはいかなかった。




二ヶ月ほど後のこと。
佐藤さんが血相を変えて店に入ってきた。


「サワちゃん、柿田さんいない?」


「いませんよ…っていうか、
 最近見ないですねぇ」


「そう…あのさ、ちょっといい?」


「あ、はい…」


そう答え、店長に目くばせするオレ。
ちょっとしたモメ事の雰囲気を感じ、店長が小さく頷く。


佐藤さんに連れられ、ビルの非常階段に腰掛ける。
店内の喧騒が遠くに感じられた。


「柿田さんの連絡先とか、知ってるワケないよね…」


「えぇ…。店からお金を借りない限り、
 そういうのは聞かないです」


「あの人、携帯変えたらしくて。
 連絡取れないんだよ」


「そうですか…先生といっても、
 どこの学校かまでは聞いてませんし…」


佐藤さんは、イラついたように声を荒げた。


「あたしね、お腹にあの人の赤ちゃんいるんだよ!」


うっわー、そういうことか…。


「それは…えぇと、とにかく…
 柿田さん、そういうの無責任な人には
 見えませんでしたけど…」


「あたしだってそう思ったよ!
 だから、つけないでしてもいいや、
 って思ったんだもん。そしたらあの人、
 『オレの子とは限らないだろう』って。
 それっきり、連絡つかないんだよ…」


そう言って佐藤さんは顔を覆った。


頭の中に、柿田さんの笑顔が浮かんでいた。
目の前には、顔を覆ってうずくまる佐藤さん。
どうしても、繋がらなかった。

なぜ…と何度も頭の中の柿田さんに問いかける。


「…ごめんね、サワちゃんには関係ないのに」


「…いえ。もし柿田さんがお見えになったら、
 連絡入れますよ」


「うん…お願い」


そういって佐藤さんは、
自分の連絡先を書いたメモを渡し、帰っていった。



オレは店内に戻り、店長に事情を説明した。


「まぁ…そういうこともあるだろうな」


店長は苦い顔でタバコに火をつけた。


「でも…あの柿田さんがそんなことって…」


「別に、不思議じゃないよ。
 自分の教え子と同じ位の年の、
 風俗嬢をはらませた…ってんじゃ、
 周りになんて言われるかわかったもんじゃないし」


フッ、と店長が小さくため息をついた。


「まぁ…珍しい話じゃないけど、
 何度聞いてもいい話じゃないよな」


オレは無言でコーヒーをつくり、それを啜った。
砂糖は、入れなかった。




オレにもある、様々な顔。
どれが、ホントのオレなんだろう?


みんな、わかって使い分けてるのかな。
それとも、色んな顔がたゆたっていて、
不意に違う顔が出てきたりするのかな…。



青白いタバコの煙が、ゆらゆら揺れていた。